尾張 奥三河と半島への車泊旅 その6 足助の町並み

吹田から5泊6日の旅 

2日目 11月5日(火曜)
瀬戸からR153で足助へ 香嵐渓を見た後 足助の町を歩く

足助は太平洋岸と中部山岳地帯を結ぶ
交通の要地で

戦国時代には軍兵が行き来し
又、三河の塩を信州に運んだ「塩の道」だったそうで

その運搬に馬が使われた事から「中馬街道」とも
言われるそうです

宿場町 商家町として栄えた面影を残している
町だそうです
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ここからが それらしい街並みかな、、、


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家の前の床机に座っていた ワンちゃん もう飽きたんでしょう
専用の出入り口から 家に入っていきました
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玉田屋 
江戸末期に建てられ 今も営業している宿屋
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街角にあった道標
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ここは 伊那街道と鳳来寺街道の分かれ道
「右ほうらいち(鳳来寺)」
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[左ぜんこうち(善光寺)」
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うしろには「弘化二年」と書かれていました
(弘化というのは あと20年ちょっとで明治になる江戸末期です)
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飯盛橋まで来た時 

なんだか面白い スクーターがありました
前の風防を四角く 切り取ってある

古くなって 
見通しがわるかったんでしょうねえ
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橋の下を流れているのは 足助川
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足助では1775年(安永4年)大火があって
   (安永、、、、
    杉田玄白が解体新書を刊行した頃、、、
    とかいわれても、、、、ピンと来ん私)

街並みの大部分が焼失したのですが
大火直後から町は再建され
   (当時 町全体が繁栄していたのでしょう) 

江戸時代から明治末までに建てられた建物が
数多く残っているそうです


その大火の翌年に建てられた商家(鈴木家住宅)
しころ葺きという屋根の造りの古い建物は

国の重要文化財だそうです
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最初は紙を扱っていたので 屋号は紙屋
その後 醸造業 金融業 新田開発なども手がけたそうで
足助の豪商の屋敷なんだそうです

写真ではわかりませんが 主屋のほかに
江戸後期から近代にかけて建てられた建物が

そのまま残っていて
公開町家として 見学できる日もあるようです
(見てみたかった、、、です) 


江戸末期以前の住宅の(田口家)
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足助の下水蓋
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石垣に挟まれた細い道を下ると
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足助川の川岸に出ました
足助というのは山と川に挟まれた 狭い町です
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本屋さんのデイスプレイがなんだか良い感じ
週刊誌でも買おうと 中に入ったじいさん
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店の一角には 奥さんの趣味コーナーがあって
沢山の手作り品が 飾られていました

「古い良い着物だけを 使って作っています」、、という
人形はどれも 品が良い
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ちなみに この人形は1万2千円、、でした、、、けどね
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この本屋さん 「白久商店」は200年ほど前の建物
元は呉服店だったそうです
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JAあいち 豊田足助支店の前
稲荷神社の大きな鳥居まできたので
引き返します
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途中 お味噌を買いました
1K 550円(天然醸造の赤みそ)

家に帰ってきて 牛すじの味噌煮込みに使いましたが
 コクがあって おいしい その割に値段も安かったので
 欲なじいさんは 「もっと買っとけばよかった」と
 残念がっております
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山際の何にもない細い道も通り
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「マンリン小路」という通りを歩きました
私はなぜか「マリリン小路」と思い込んでいて

なんでマリリンなんて言う モンローみたいな名前
なんだろう?と 不思議がっていたのでした
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ショウウインドウの中だけ 紅葉していました
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足助交流館でトイレを借り
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約1時間の足助散策を終え  駐車場に向います
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   その7 鳳来寺山への道に 続く