車泊旅 ナビが頼りの東京13  8日目その2 谷中から根岸 

10月24日(日曜) 8日目

上野 寛永寺から谷中の墓地へ

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墓地入口

八百屋さんが店開き

「寛永寺谷中霊園 好評受付中」の 

のぼりがたっています 

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広ーい墓地を歩いて

やっと みつけました

(案内パンフもあるらしいですが、、、)

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徳川慶喜の墓

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こんもり丸いお墓は神道で祀られているからだそうで

そういう詳しい説明をしてくれる

おじさん達がいました

ボランテイアなんでしょうか
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こんな写真集も

携えています

慶喜の二人の側室の写真

正室に子供はなく このお二人が

男10人女11人を生み

その内の十男が勝海舟の婿養子になったそうで

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これがその勝家のお墓


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このおじさんには


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森繁久弥の墓を

教えてもらいました

むしろ シンプルで質素な感じのお墓で

森繁らしいと好感をもちましたが

これとて

墓地だけで六千万 墓石を含めると

1億はするそうです

墓地といっても高いのですね、、、

それでもたくさんある新しいお墓は

[バブルで儲けた 成金、、、さ」、、と、、、

寛永寺は墓地を切り売りして

「随分もうけているさ、、、」、、、と

これもおじさんが申しておりました

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谷中霊園からJRの線路を跨ぐと

根岸

子規庵に行きたいのですが

道を間違えて 反対方向へ歩いていたようです

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この方が 同じ方向ですから、、、と

連れて行ってくれました

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途中 「ねぎし三平堂」があったので

林家三平さんか、、懐かしい、、な、、と入ってみました

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昔の高座をビデオで見せてくれたり

ゆかりの品が並べられていました(入場料 600円)

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子規庵はすぐ近く、、のようです

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後の文豪たちが集い

母や妹の介護をうけながら

34歳で亡くなった子規の終生の場所(明治35年)

戦火に焼失したのを

戦後の昭和26年 弟子により再建されたそう

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間取りも ヘチマ棚もそのままに

(撮影は禁止なので 販売されていた写真ハガキより、、)

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庭の植栽にも当時をしのばせる

昭和3年に出来た[子規庵 保存会財団法人」

が今に至っているようです

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子規庵に売っていた

墨汁一滴、仰臥漫録、病床六尺の

3冊を買いました

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JR鴬谷駅 へは徒歩5分行ってみます



が、、、

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「これがまあ 根岸の里か ホテル街」 とダンナが申す位


路地を曲がってもホテル 別の路地に入ってもホテル

区画 丸ごとホテル街

これだけはいつの時代も変わる事のない

現実でしょう

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ホテルは兎も角

駅前の定食やへ

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てんぷらそば 350円 おにぎり 120円という

いつもながら 質素な昼食

早くておいしかったですよ

店員はほとんどが東南アジア系の若い女の子

厨房では聴きなれない言葉が

飛び交っていました

[笹の雪」という

豆腐料理の老舗もありましたけど

ま、 分相応がモットーですから、、

(と、、、割り切っている風だが、、、おいしいものが嫌いな人はおらんわさ)



ナビが頼りの東京14 8日目その3 「最終は入谷鬼子母神」に

続く